人は、見通しが立たないことがあると、不安を覚え、苛立ちを覚えるものだ。
先日、歯科に行ったとき、予約も取らずに行ったために、
「今からだと、そうとう時間待つことになるので、予約を取って後日来院してはどうか」
と、言われた。なるほど、待合いにも、治療台にもビッシリと人がいる。
治療と言うよりは、検診のつもりだったので、急いでいたわけでもなく、言われたとおりに予約を取り直して帰った。別に悪い気はしなかった。
今日、花粉症がひどくなったので耳鼻科へ。
待合いには、多くの人がいた。
「マズイかな?」という予感はあったが、いつも混んでいるということを聞いていたので待つことに。
そーゆーときのために、読みかけの単行本を持っていたので安心…とばかりに、本を読んでいた。
一時間が過ぎた…。僕よりも先に来ていた人は、ほとんどいなくなった。それでも、呼ばれない。
一時間半が過ぎた。僕は、苛立ちを覚えた。
このままだと、休日の半日を耳鼻科で過ごすことになってしまう。
僕よりも後から来た人が先に治療に呼ばれている…。
次々と、後から来た人が呼ばれている。
「僕は、まだなのでしょうか?」
と、聞きに行く。
「もうすぐです」
…。
結局、僕よりも後から来たと思っていた人は、あらかじめ診察券を出して、どこかに行っていた人たちだったようだ。
僕は、半日を耳鼻科で過ごして、治療は5分で終わった。
5分のために、半日を無駄に。
こんなことなら、待ち時間を教えてくれればいいのにと思ってしまう。
正確な時間など、いらない。大体で良いのだ。そうすれば、こちらも見通しがつくし、他の人のように、一時的に治療院を出ることもできる。
だって、僕は予約を取り直した方が良いといって追い返されても、悪い気はしないのだ。
でも、だまって一時間半以上待たされたら、ちょっと気に障る。
人は、見通しが立たなくなると、不安を覚え、苛立ちを覚えるものなのだ。
僕も、不安を覚えた。僕の診察券は、ちゃんと受け付けられているのだろうか?とか。
後から来たように思えた人を見て、苛立ちを覚えもした。
そのとき、あることに気づいた。
地震、津波に襲われ、そのうえに原発の放射能報道によって自宅から避難を余儀なくされている人たち…。僕の何十倍も、何百倍も不安を募らせているのだろうな…とか。
ちゃんと届かない情報に苛立ちを覚えているだろうな、とか。
震災当初の東電や政府の発表の遅さ。分かりにくさ。今でも、見通しがつかないもどかしさ。
現実的な被災も疲れるだろうが、精神的な被災は、もっと疲れるのかも知れない。

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